なぜ文章が書けないのか?上手く思いを伝えるための翻訳

書くことの悩みはつきない。

何を書いたらいいのかわからない。

もっといい文章が書きたい。

もっと面白い文章が書きたいなど、書き手によって様々な悩みがあると思う。

 

しかし、我々が文章を書く時に抱える悩みは次の2点に集約されるのではないだろうか?

①文章を書こうとすると固まってしまう

②自分の思いを上手く文章化することができない

 

書きたいことはあるのに、たくさんの思いが駆け巡って上手く表現することができない。

なにをどう書けばいいのかわからない。

あるいは、何とか文章を書きだしてみるが、出来上がった文章と自分の思いとのギャップを感じてる。

 

どうして我々は書くことが出来ないのか?

答えは簡単だ。

書こうとするから書けなくなるである。

 

私達の頭の中にはたくさんの思いが駆け巡っている。

まだ言葉になる前の漠然とした”感じ”。

この”感じ”である状態では、どう感じているのか、なにを思っているのか自分でもよくわかっていない状態である。

 

この思いをどうすれば上手くアウトプットすることが出来るのか?

答えは書くのではなく翻訳すること。

書けない人に足りないのは翻訳する意識であり、技術なのだ。

 

われわれはどうして思いを翻訳するのか?

それは伝えるためだ。

伝えたい相手がいるからだ。

誰かになにかを伝えたいという思いがあるからこそ翻訳するのだし、しなければならないのだ。

たとえ、自分が上手くできたと思っても相手に伝わらないのであれば、翻訳は失敗なのである。

 

我々は理解したから書くのではない。

理解できる頭があるものだけが書くことができるのだ。

書くという再構築とアウトプットを通じて自分なりの解を得ることが出来る。

順番を間違えてはいけない。

人は解を得るために書くのだし、解を得るために書くのだ。

わからないことがあったら書こう。自分の言葉に翻訳しよう。

そうすれば、きっと自分なりの解が見つかるはずだ。

つまり、書く力を身に着けることは、考える力を身に着けることだ。

書くということは思考のメソッドなのだ。

 

ではどうすれば翻訳できるようになるのだろうか?

それは聞いた話を自分の言葉で誰かに話すことだ。

これが翻訳の第一歩になる。

聞いた話を誰かに伝えるには正確に理解しなければならない。

曖昧な知識では伝えようがない。

理解してこそ他人に伝えることができる。

次に、再構成する。

なにを、どの順番で伝えれば相手が理解しやすいのかを考えなが話す。

聞いた話をそのまま話すのではなく、自分なりに必要な説明を加えたり、

不要な個所を省いて、より分かりやすく話をまとめていく。

最後に、自分なりの感想や発見を加えていく。

結論について自分はこう思うとか、

この知識はこんな使い方ができるとか、

自分なりの付加価値を付け加えることで、

ただの伝達から、ひとつの価値のある情報が生まれる。

 

そういった作業を続けることで、

少しづつではあるが自分で考える力が成長いていく。

結局この力がなければ、話を伝えることができないし、文章も上手に作ることができない。

現代は、ネットですぐに検索すれば答えを与えられる時代である。

便利である反面、私達の考える力はどんどん失われていく。

考えることは面倒くさいと思うかもしれないが、

アイディアは価値を生み、人生を豊かにする。

一度考える習慣が構築されれば、どんな問題も次々と解決できるし、

次第に考えることが楽しくなっていく。

思考停止状態から抜け出して、脳を柔らかくする。

思考できる状態にする。

それがいわゆる翻訳なのた。